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松江地方裁判所浜田支部 平成9年(わ)35号 判決 1997年8月15日

主文

本件公訴を棄却する。

理由

第一  公訴事実(以下「本件公訴事実」という。)

被告人は、大韓民国の国籍を有し、同国の船舶である漁船第九〇九テドン(総トン数六八トン)に船長として乗り組み、あなごかご漁業に従事しているものであるが、法定の除外事由がないのに、平成九年六月九日、島根県浜田市所在の馬島灯台から真方位三一七度約一八・九海里付近の本邦の海域において、同船によりあなご篭を使用して、あなご約六・二五キログラムを採捕し、もって本邦の水域において、あなごかご漁業を行ったものである。

(検察官主張の罰条 外国人漁業の規制に関する法律(以下「規制法」という。)三条一号、九条一項一号)

第二  事案の概要

1  前提事実

本件公訴事実を簡単にまとめると、大韓民国(以下「韓国」という。)の国籍を有する被告人が、島根県浜田市所在の馬島灯台から真方位三一七度約一八・九海里付近の海域(以下「本件海域」という。)で、韓国に船籍のある漁船であなごかご漁業を行ったというものである。

本件海域は、日本国(以下「日本」という。)の沿岸の基線(いわゆる通常基線)から測定して一二海里より外側にある(甲3、17(証拠等関係カードの検察官請求証拠の番号である。以下同様。))。

本件海域は、直線基線を採用した、領海及び接続水域に関する法律(昭和五二年法律第三〇号。以下「領海法」という。)の平成八年法律第七三号による改正後の二条、同法施行令(昭和五二年政令第二一〇号)の平成八年政令第二〇六号による改正後の二条一項によって、新たに日本の領海とされた(甲3、17)。

規制法三条一項の「本邦の水域」とは、領海及び内水であると解されるところ、本件海域は、右各改正後の領海法及び同法施行令(以下、両者を併せて「平成八年法令」という。)の施行(平成九年一月一日)前は日本の領海ではなかったから、規制法三条の「本邦の水域」でもなかった。

また、本件海域は、少なくとも平成八年法令の施行前は、日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定(昭和四〇年条約第二六号。以下「漁業協定」という。)一条一項本文の日本の「自国が漁業に関して排他的管轄権を行使する水域」(以下「漁業に関する水域」という。)の外側であった。

したがって、平成八年法令の施行前は、本件海域での本件公訴事実と同様の行為については、規制法三条一号、九条一項一号によって処罰することができないものであり、かつ、少なくとも漁業協定一条一項、四条一項によって日本に取締り及び裁判管轄権がないものであった。

領海と漁業に関する水域とは当然ながら概念としては異なるものである。

現在までに、日本が漁業に関する水域の設定に際し直線基線を使用する場合の漁業協定一条一項ただし書の韓国との協議がなされたことはないが、韓国が漁業に関する水域の設定に際し直線基線を使用する場合の協議は行われており、これに基づき、韓国は直線基線を使用して漁業に関する水域を設定した(甲25)。

2  争点

(一)  本件公訴事実について、平成八年法令の施行によって、日本に取締り及び裁判管轄権があるようになったか。

(二)  本件公訴事実は、平成八年法令の施行によって、規制法三条一号、九条一項一号によって処罰することができるようになったか。

3  争点についての当事者の主張

(一)  検察官の主張

別紙平成九年七月二八日付け及び同年八月一一日付け各意見書記載のとおりである。

(二)  弁護人の主張

別紙弁論要旨記載のとおりである。

第三  争点についての判断

前記前提事実のとおり、本件海域は、少なくとも平成八年法令の施行前は日本の漁業に関する水域の外側であったが、平成八年法令によって日本の領海とされた海域である。

そのため、平成八年法令の施行によって、本件海域は、原則として、日本の取締り及び裁判管轄権が及ぶこととなり規制法三条の「本邦の水域」でもあることとなった。

しかし、憲法九八条二項は日本が締結した条約及び確立された国際法規を誠実に遵守することを要求しており、日本の領土や領海の中であっても、条約や確立された国際法規によって、日本の取締り及び裁判管轄権が及ばないこととされたり、これらについて特別の手続が定められたりしていることは周知のとおりである。また、原則として、条約や確立された国際法規は、その成立の時間的前後を問わず、常に法律に優先する効力を有する。

したがって、本件公訴事実についても、本件海域が日本の領海であることからただちに日本の取締り及び裁判管轄権が認められることになるわけではなく、漁業協定がその例外を定めているのであれば、これらが否定されることとなる。なお、検察官は、漁業協定は漁業に関する水域について定めたもので、領海について定めたものではないこと、領海の設定について韓国との事前協議は不要であること及び平成八年法令が採用した直線基線が国際法上適法であることを強調するが、弁護人はこれらの点を争っているものではないし、領海が拡大して漁業に関する水域の外側まで広がった場合に、漁業協定四条一項が、漁業に関する水域の外側については拡大した領海内についても取締り及び裁判管轄権を制限するものであるとすれば、検察官の右各主張は意味のないものである。また、検察官は、海洋法に関する国際連合条約(平成八年条約第六号。以下「海洋法条約」という。)が直線基線の採用を認めた旨強調するが、それ以前に締結されていた領海及び接続水域に関する条約(昭和四三年条約第一一号)も直線基線の採用を認めており(同条約は、領海の幅については規定していなかったが、日本は領海法によって昭和五二年から領海の幅を一二海里としていた。)、この点に関する限り、海洋法条約が発効したからといって、特別な事情の変化があったわけではない。

そうすると、本件について日本の取締り及び裁判管轄権が及ぶか否かは、右の点に関する漁業協定の解釈によることとなる。

この点に関し、検察官は、漁業協定の前文に「公海自由の原則がこの協定に特別の規定がある場合を除くほかは尊重されるべきことを確認し」とあるとおり、漁業協定は、日本と韓国のいずれの領海及び内水にも属しない海域である公海について取り決めたものであること、及び国際法上領海と漁業に関する水域とは全く異なる概念で、漁業協定もこれを前提として規定していること等から、漁業協定四条一項の「漁業に関する水域の外側」とは、日本及び韓国の領海及び内水以外の水域であり、かつ、漁業に関する水域以外の水域をいい、同協定四条一項は、日本の領海内における裁判管轄権を制限する規定ではない旨主張する。

しかし、漁業協定の前文は、「日本国と大韓民国は、両国が共通の関心を有する水域における漁業資源の最大の持続的生産性が維持されるべきことを希望し、前記の資源の保存及びその合理的開発と発展を図ることが両国の利益に役立つことを確信し、公海自由の原則がこの協定に特別の規定がある場合を除くほかは尊重されるべきことを確認し、両国の地理的近接性と両国の漁業の交錯から生ずることのある紛争の原因を除去することが望ましいことを認め、両国の漁業の発展のため相互に協力することを希望して、次のとおり協定した。」というものであり、この前文全体をみても、検察官指摘の部分のみをみても、漁業協定が日本と韓国のいずれの領海及び内水にも属しない海域(公海)だけに限定した取り決めであると解することはできない。むしろ、いずれかの国の領海が拡大したとしても、前文にある「両国が共通の関心を有する水域」が変わる性質のものではないことからすれば、領海が拡大したとしても、漁業に関する水域やその効力には何らの変更も生じないと解するのが相当であり、検察官の右主張が失当であることは明らかである。また、検察官からの捜査関係事項照会書(甲24)による漁業協定四条一項との関係で、日本の領海が漁業に関する水域よりも拡大した場合の新たに領海となった水域における取締り及び裁判管轄権がどのようになるかとの照会に対する外務省アジア局北東アジア課長からの捜査関係事項照会について(回答)(甲25)には、「日韓漁業協定第一条第一項は、両締約国は、それぞれの締約国が自国の沿岸の基線から測定して一二海里までの水域を自国が漁業に関して排他的管轄権を行使する水域(漁業に関する水域)として設定する権利を有することを相互に認める旨定めているが、同協定は、国際法に従って沿岸国が領海を拡大することを禁じているわけではない。したがって、日本国が領海の基線として直線基線を採用することによって領海の範囲が漁業に関する水域の範囲よりも拡大した場合、新たに領海となった水域においては、日本国が取締りを行いまた裁判管轄権を行使することとなる。」と記載されているが、なぜ漁業協定四条一項との関係で漁業に関する水域の外側でも新たに領海となれば取締り及び裁判管轄権を行使することとなるのかという点について合理的に説明できているものではない(「したがって」とあるが、なぜその前の文書からその後の文書が導かれることになるのか明らかでない。)。

そして、漁業協定二条が「次の各線により囲まれる水域(領海及び大韓民国の漁業に関する水域を除く。)を共同規制水域として設定する」と、明文で領海を除外しているのに対し、漁業協定一条ではこのような除外をしていないことからすると、漁業協定二条の反対解釈として、漁業協定一条の「それぞれの締約国が自国の沿岸の基線から測定して十二海里までの水域」は、領海を除き公海に限定されるものではなく、領海を含むものであると解することができるのである。

さらに、実質的に考えても、条約である漁業協定が、基線から一二海里までを漁業に関する水域として設定することを認めた上、その外側における相手国に属する漁船の取締り及び裁判管轄権を相互に放棄し、基線については原則として通常基線を採用し、直線基線を採用するには相手国との協議を要するとしているにもかかわらず、一方当事国が漁業に関する水域より外側まで(たとえば一三海里まで)領海としたり、領海について直線基線を採用したりすることによって条約の効力を実質的に無意味なものとすることができるというのでは、漁業協定を締結した意味がなくなってしまうことになり、合理的でない。このことは、一般的に、各国が領海を広げる目的の一つとして、外国による漁獲を制限することが含まれている場合が多いことからも明らかである。したがって、少なくとも、漁業協定締結の時点でいずれかの国の領海ではなかった海域について、その後に領海が拡大したからといって、漁業協定の適用がなくなると解することは相当でない。

そのほか、前述のとおり、規制法三条の「本邦の水域」とは、領海及び内水であると解されるが、規制法八条は「この法律に規定する事項に関して条約に別段の定めがあるときは、その規定による。」として、注意的に領海及び内水(本邦の水域)についても規制法に優先する条約が存在し得ることを明文で明らかにしているのである。なお、規制法は漁業協定締結後に制定されている。

また、漁業協定は、日本又は韓国による終了させる意思の通知や事情の根本的な変化を理由とする破棄等はないし、海洋法条約等その後に締結された条約によって失効したということもない(なお、漁業協定には、解釈及び実施に関する紛争の解決方法も規定されている(九条)。)。

したがって、本件海域は、平成八年法令の施行によって日本の領海とされたが、漁業協定一条一項の漁業に関する水域の外側であり、漁業協定四条一項で取締り及び裁判管轄権は、漁船の属する締約国のみが行ない、及び行使するとされているのであるから、この点に関する限り条約である漁業協定が優先し、日本にその他の事項についての取締り及び裁判管轄権があることは当然であるが、韓国の国籍を有する被告人が韓国船籍の漁船で漁業を行った本件公訴事実については、日本に取締り及び裁判管轄権はないのである。

よって、その余の点について判断するまでもなく、本件公訴は棄却すべきものであるから、刑事訴訟法三三八条一号により、主文のとおり判決する。

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